「ぼっち飯」で苦しんでいた私が漫画『孤独のグルメ』に救われた話
春から新しい環境で生活をはじめた皆さん、入学式や入社式も終わり、少しず〜つ新しい友達やグループができ始めてきたころでしょうか? ……なになに、決まった友達ができなくてお昼を一緒に食べる人もいない?
何を隠そう、私もそうでした。いわゆる「ぼっち飯」です。食堂に行っても周囲がグループでワイワイ賑わう中、ひとり静かにお昼を過ごす……ランチタイムってこんなに悲しい時間だっけ? と心の中で泣いたこともありました。
だけどある日、漫画『孤独のグルメ』と出会い、ぼっち飯の魅力と楽しさに気が付いたのです……!
毎月1のつく日(1日、11日、21日だけ)は「ステキなぼっちの日」です。今回は、漫画『孤独のグルメ』から教えてもらった「ぼっち飯」の魅力を伝えたいと思います。
【そもそも漫画『孤独のグルメ』とは?】
まずは漫画『孤独のグルメ』(原作・久住昌之 / 作画・谷口ジロー)について簡単にご紹介すると……。
主人公は、個人で輸入雑貨商を営む独身男性・井之頭五郎。彼が仕事の合間に立ち寄った店で食事をする様子や心情を、ただただ淡々と描いているのが大きな特徴です。
現在、書籍として『孤独のグルメ』『孤独のグルメ2』の2冊が出版されているほか、2012年からは松重豊さん主演でテレビドラマ化され、シーズン7まで続く人気を博しています。
【「ぼっち飯」なのにイキイキしてる主人公】
まず、私が初めて漫画『孤独のグルメ』を読んだときに衝撃的だったのが、「とくに取り柄もない中年男性が、ただただご飯を食べて感想を独りごちる、その心の内が漫画になっている」というスタイル。
だってふつう、漫画やテレビドラマになるようなできごとというのは男女の恋愛や人間同士のぶつかり合いから生まれると思っていたから。
中年のオジサンが街の定食屋に入って「岩のりは余分だったな……残すしかないか」ってひとり言を言ったり、焼肉を食べて「うおォン 俺はまるで人間火力発電所だ」っていう意味不明な心の声を発したり。そんな姿がひたすら描かれる漫画って、ある? 今は似たようなグルメ漫画があるかもしれませんが、当時の私にはとにかく斬新に感じて衝撃でした。
しかもこの井之頭五郎ことゴローちゃん、今で言うところの「ぼっち飯」なのにまったくもって寂しそうではないんですね。っていうか、むしろイキイキしてる……! 過去にぼっち飯でさびしい思いをしたことがある私としては、これもまた大きな衝撃を受けたところです。
【私の「ぼっち飯」に対する概念が変化した瞬間】
ではなぜにゴローちゃんは「ぼっち飯」をいつも楽しそうに謳歌できるんでしょうか? それは単純に食べるのが好きというのもあるのですが、「孤独ということに自由を感じているから」というのも大きいかと思います。
ゴローちゃんが、目の前で従業員にうるさく怒鳴っていた洋食店の店主に、我慢しきれず放った名言があります。
「モノを食べる時はね 誰にも邪魔されず 自由で なんというか救われてなきゃあダメなんだ 独りで静かで豊かで……」
ゴローちゃんにとって「ぼっち飯」とは食を通じて自分の内面と向き合うひとときでもあり、実はとても自由で豊かで癒されるものなのです。
これは、それまで「ぼっち飯」はさびしいもの、恥ずかしいものだと思っていた私の概念が大きく覆された瞬間でした。怒りのあまり、店主にアームロックまでかけていたゴローちゃんはさすがにやりすぎだと思ったけど……。
【「ぼっち飯」とは自由で豊かなものなのかも】
ご飯を食べるときにしろ、それ以外のときにしろ、「ひとりぼっち」というのはとても寂しく、人によっては恥ずかしく感じることもあるかと思います。
でも、もし「ぼっちは誰にも邪魔されない、自由で静かで豊かな時間」とちょっと違った角度からとらえてみるなら……もしかしたら、皆さんの「ぼっち飯」に対する考え方もすこーし変わったり可能性が広がったりすることもあるかもしれません。
以上、漫画『孤独のグルメ』から「ぼっち飯を楽しむヒント」についてご紹介しました。興味を持った方は本書を読んで、「ぼっち飯」の奥深さや楽しさにさらにふれてみるのもオススメです!
参考リンク:「孤独のグルメ」/ 扶桑社
画像=版元ドットコム
執筆=鷺ノ宮やよい (c)Pouch